野球で頭角を現すものの、身長の低さから名門校のスカウトマンから見向きもされなかった中学時代、注目を浴び過ぎ、先輩たちから暴力を振るわれた大学時代。苦難の連続のなか、いつも支えてくれた父親の存在――。大変な苦労も、時折ユーモアを交えながら軽やかに話す島田さん。プロ入り後も、悔しい思いを数多くするものの、苦難を克服しながら培った気迫、持ち前のアピール精神で自らの道を切り拓き、いかなる時も死力を尽くして戦っていた現役時代の話に胸が熱くなりました。
「選手の力を引き出すのがコーチの役目」と話す島田さん。監督やコーチがどれだけ自分のことを思い指導してくれていたのかを後から知り、自分の浅はかさに情けなくなったといいます。その思いから、何年も最下位を経験し「これくらいの練習でいい」と半ばあきらめている選手にも、「最下位のチームがトップのチームより練習しないと勝てるわけないだろ!」と必死で訴えた島田さん。同時に、「打てない球を打つな。自分で打率を下げるな」と、「選手に楽をさせる(効率化する)」指導で効果を上げ、選手のモチベーションを高めていったそうです。「あきらめない」、「効率化」、「モチベーション」。企業経営にも欠かせない大切なものを改めて意識させていただきました。
1954年福岡県中間市出身。
直方学園〜九州産業大学〜(ノンプロ)丹羽鉦(ルビ:にわしょう)電気〜あけぼの通商。
1977年〜 1990年:日本ハムファイターズ、1991年:福岡ダイエーホークス・シーズン後退団、1992 〜 1996年:野球解説者、1997 〜2006年:福岡ダイエーホークス・福岡ソフトバンクホークス外野守備走塁コーチ、2007 〜 2009年:RKB野球解説者、2010年:横浜ベイスターズヘッドコーチ、2011年〜:RKB野球解説者。
1979年西武戦1イニングで2盗3盗本盗のパーフェクトスチール達成、1,500試合出場、1,500安打達成、ベストナイン2回(1980,1981)、ゴールデングラブ賞6回受賞等の成績を残し、走攻守3拍子そろった選手として名を馳せた。
著書に『それでも野球が好きだから』(海鳥社)。
開催日 | 講師 | 演題 |
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25.05.23 | 作家・慶応義塾大学講師 竹田 恒泰 |
日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか −自分の国に誇りを持てたらもっともっと輝ける。− |
24.05.24 | 経済ジャーナリスト 須田 慎一郎 |
いま起こっていること、これから起こること −これからの中小企業の生き方− |
23.05.24 | 千房(株)代表取締役 中井 政嗣 |
できるやんか! −人間って欠けているから伸びるんや− |
アクセス - 公益社団法人福岡西部法人会